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2009年 06月 30日
「キング・オブ・ポップ」とも呼ばれたマイケルジャクソン急死のニュースは世界中に衝撃を与えたがMJで個人的に一番印象深いのは、70年代の終わり、S社の50ccスクーターのコマーシャルに出ていたMJである。"Don't Stop 'Til You Get Enough"をバックに「ラブ」という名の原チャリ(S社は同名で電動自転車を来月発売するそうだが...時代の流れを感じる)にまたがりMJは"LOVE is my message!!"とシャウトしていたと思う。「スリラー」が出る前の事だからCM料もそこそこだったのだろう。下の画像のような、整形前の屈託のない笑顔のMJを見ると今となっては胸が痛む。
さらにMJが一番輝いて見えたのは1985年"USA FOR AFRICA We're the world"のスタジオ録音風景だ。20代後半でQ.Jonesと共に、当時の名立たる米国のトップミュージシャンをまとめていたのであるから、当時彼の人気と実力がいかに卓越したかがうかがわれる。 その後90年代にはいってからは、裁判に明け暮れ奇行などの噂も絶えなかった。そして2009年6月25日、若くしてスーパースターとなってしまったMJが自分との戦いについに燃え尽きてしまったという感が強い。 しかし今回のマイケルの死去で対照的に思い出してしまうのが1980年に凶弾に倒れたジョン・レノンである。ジョンの晩年もいろいろとスキャンダルはあったものの報道される私生活からは、普通の家庭人の側面を感じることができた。1976年~1980年まで音楽活動を休止して「主夫」に徹したレノンの体験が1980年、ジョン最後のALBUM、DOUBLE FANTASY の"Beautiful Boys"や"Woman""Watching The Wheels"などに自身の本音が良く表われていて、一般人の小生も共感できた。アルバムの一曲目"(Just Like)Starting Over"通り「さあ、これから再出発だ」と当時のジョンの崇拝者は40才を過ぎたジョンがこれから何をしてくれるか、どんな人生の手本になってくれるか期待していたのだったが.... ジャクソン5というアットホームなファミリーのグループで育ったものの、人生の最期は、苦悩を誰にも打ち明けられないまま去っていった感が強いマイケルと、幼少の頃両親が別れてしまい孤独の中でスターとなり、家族の形を追い求めてその姿がやっと見え始めた時に逝ってしまったジョン...二人の偉大な足跡を再びじっくりたどってみたい... 無謀にも人気ブログランキングに参加中です。バナークリックにて応援お願いいたします!!
by coconchi
| 2009-06-30 14:39
| Music
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